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「中国式道路横断」の現実的な隠喩

2012年11月15日
 
【新唐人20121115日付ニュース】最近、「中国式横断」という言葉が流行っています。一定人数が集まると一緒に赤信号を渡るのです。結果、走行中の車が止まるしかありません。これに対して、作家・喬志峰氏はこう言います。
 
「『中国式道路横断』には深い隠喩が込められている。今の中国と中国人はまさに時代の十字路に立っている。各種矛盾や問題で社会は混乱状態に陥っている。『階級』を消滅したというが、戸籍、出身、職業などから人を等級で分けられている。車に乗る人がいれば、自転車に乗る人もおり、歩く人もいる。車に乗る人は自転車に乗る人と歩く人を馬鹿にし、彼らが道を塞いでいると思っている。自転車に乗る人と歩く人は車に乗る人が非正常な手段で公共資源を占有したと思い、金持ちと腐敗者を憎む。皆の心は焦っていて、落ち着きがない。時代遅れになるのを恐れ、急ぐのである。しかし 皆の心はばらばらで方向を統一するのは難しい。私はこちらに向かい、あなたはあちらに行こうとする。あなたも譲らなければ、私も譲らない。結局譲らない勇者の勝ちになる。
 
交差点に信号があり、交通ルールもあるのに、それらは飾り物に過ぎず、守る人はほとんどいない。ルールを守らない人のほうが肩で風を切って歩き、ルールを守る人は前進さえ難しい。『黒猫でも白猫でも、ねずみを獲ればいい猫だ』 『大胆な者はますます欲張り、臆病者は餓死する』
 
しかも多くのルール自体権力者が決めたものだから、明らかな欠陥と傾向性がある。一部のルールは落とし穴で、目的は人を陥れるためだ。いわゆる法の執行とは罰金を取ることで、さらにはフィッシングなのだ」。 「では 道路はずっとこの状態が続き、解決法はないのだろうか。世界のほとんどの国にはこのような問題が存在しない。文明国家の道路は整然としている。他人に成熟した経験があるのに、権力者は無視している。わかっていながら知らないふりをして、最後まで通そうとしているのだ」
 
 
 

 

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